痛みに悶絶し、神を呪う声。
神殿内にいる負傷者の精神が錯乱し始めている。
否、信者だけではなく彼らを導く筈の神官にも暗影が差していた。
階段の下からきしんだ弓の音がした。
「誰も手を出すな」
カールの鷹揚な口調が皆に向けられ、弓を構えていた騎士は隣に居た神官と顔を見合わせる。
神官が頷くと、弓は下ろされた。
セリウスは涙を何度も手で拭き、擦り切れたように目元が赤くなっていた。
「ルドレストの村はヴレード軍に占拠されていました」
鼻をすすりながら話すセリウスの視線はカールの足元に向けられ、目を合わせることは無い。
「奴らは結界を張るなと」
レグスは剥き出しの鋭気をもってカールに言った。
二人をここまで追い詰め、剣を向けるという行動にかりたてられた理由を話すまで、カールはしぶとく待つことにした。
謹厳な態度で黙している師の反応が、レグスには冷たいものに思えた。
「神殿に結界を張らなければ、市民にはむやみに手を出さないと……!」
喉につかえていた言葉が、レグスの口から放たれた。悲痛な叫びは灰色の空に吸い込まれていく。
(卑劣な!)
カールは目を細めた。
「村人全員が…いや、市民全員人質というわけか? 神殿に結界を張れば無差別に殺すと言われたんだな」
自然と足が動いたカールを制するように、レグスは短剣を手前にかざした。
「我々神官には奴らからアストラルを守る義務があります。でも、人の命とアストラル、どちらが大事なんですか! 被害を最小限に食い止められる機会なんです!」
レグスが言い終わるや否や、セリウスが叫んだ。
「議会はどうせアラード港を死守する事しか頭に無い! 結界をはって篭城したって、助かるわけが無い!」
「ああ、その通りだ援軍なんて期待できない。俺達がどうにかするしかない」
カールは事実を述べ、答えを急がなかった。
二人の訴えを考察しながらレグスを見ていると、カールは切れた唇に気づいた。
カールは細部に目がいくようになった事に、自身が冷静さを取り戻しつつあるのだろうと自覚する。
よく見れば彼らの目元と口元に、痣と皮膚が裂けた痕があった。
(殴られても抵抗したのか……)
カールならば二人を参道まで弾き飛ばす事は容易だ。
セリウスとレグスも、術で戦えば師に敵うはずも無い事は知っている。
家族や恋人を守る為に、二人にとってこれが唯一取れる行動の全てなのだと、カールは察した。
戦を前に、神から享受していた安慰と幸福は消え去った。
残留したものは絶望を回避する為に手段を選ばない、種としての本能のみだったのだ。
可愛い弟の進むべき道を外させ、闇へ引きずり込んだ国、ヴレード。
カールは胸の奥が帝国への憎しみで支配されそうになりながら、表面上は安気な様子を取り繕った。
(確かに市民の命を助ける方法はそれしかない。だがおかしい……何故ここまで神殿に固執する? 最初からアストラルが目的か?)
誰もがカールの決断を待って、沈黙していた。
「解った。お前達の言うとおりにしよう」
「カール様!」
信じられない面持ちで、レグスは短剣を持つ手をゆっくりと下ろす。
「アストラルが奴らの手に渡れば結界で守られたアヴァンクーザー圏の均衡が崩れる。それだけは防がなくてはならない。だがそれはお前たちの責任じゃ無い、心配するな」
もともと飄逸なところがあるカールの軽快な言葉運びと温顔が、セリウスとレグスの心を溶かしていく。
セリウスは一層、涙が止まらなくなっていた。
「お前達には守りたいものがあるのだろう?」
肩にカールの手が置かれると、レグスは頭を項垂れて口元を押さえた。
「申し訳ありません……! お、俺は……!」
レグスはこみ上げる悔しさを必死に押さえ込もうとしていた。
ヴレードの戦略に利用された汚辱は、真っ直ぐ己に向かっていたのだ。
「また会えて良かった。だから生きてまた会おう、セリウス、レグス」
セリウスの頭を撫でながら、カールは力強く言った。
そして、抱擁。
これまでになく、カールは愛する弟子を強く両腕に抱いた。
師の恩威に、弟子達はしがみつく事で応える。
「何があっても死ぬな。生き抜くんだ」
その言葉はそこにいた全ての者に向けられていた。
高司祭カールヴラットの決断に、異を唱える者はいなかった。
状況は不利であるというのに、微塵も感じさせない威光がカールにはあったのだ。
聖堂で礼拝をとりしきる時のように厳かで、何処からともなくアストラルの光明が差していた。
神の守護を受けて戦場に立つその勇姿は生への渇望に満ち、自信に溢れた笑みは部下の疑念を払拭させる。
それはさながら彼の祖父、サマルドゥーンの英雄が舞い戻ってきたかのようであった。
幸い、彼の発言に不安な表情を見せる者はいなかった。
(これで、いい。俺は俺のやり方で守ればいい……)
騎士と神官は武器を掲げて神への忠誠を叫んでいる。
彼は背を向け、唇を噛んだ。
(戦わずに生き残る事はもはや不可能だ)
戦は生と死をもたらし、双方の未来に復讐の連鎖を残す。
自分が守ろうとしているものは、それだけの価値があるのか?
途方も無い生命の数が失われる事を考えただけでカールはめまいを感じる。
その様子を見せまいと、彼は足早に神殿内に入って行った。
英姿が見えなくなって現実に戻された事に気づくと、騎士の長が進み出て部下に何やら命令を下し始める。
神殿騎士達は再び門の外に出て行った。
まずは神殿の外、セル・セアの岸辺からヴレード兵を迎え撃つ作戦である。
レグスとセリウスは互いを見つめたまま黙っていた。
お互いを慰めることも無く、ただ、もう後戻りは出来ないと確認し合っている。
「用意周到なことじゃの。きやつら、カール様の術を調べておったとは」
初老の神官が屈めた腰に両手を当てながら階段を上ってきた。
「アストラルの力を借りるとはいえ、カール様の施される術は特定の者を拒む事の出来る高度な結界だ。それを恐れ交渉を持ちかけるなど、カラジャル皇帝の考えでは無い」
セリウスとレグスが目に入らなかったというように、老神官は独り言のようにつぶやいて神殿の中へ入っていった。
二人の脳裏に魔術師の姿が思い出されたのは、ほぼ同時だ。
カールの動きを封じる為に神官を捕らえ、市民を人質にとった狡猾な魔女。
厭悪すべき存在でありながら艶麗な魔術師。
「俺達は市民の命を救うためにここにいる神官とアストラルを犠牲にするんだ。その報いは受けなくてはならない」
レグスは短剣を再び握りなおし、階段を駆け下りる。
セリウスもそれに続き、二人は騎士達に混ざって神殿の外へ出て行った。
敵の強襲に備えて警戒を進める中で、二人を止める者は誰もいない。
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